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ビクトリアの滝を最初に見た西洋人、リビングストン(1813-1873)。
ザンベジ川の上流やナイルの源流を巡るなど、
アフリカ内陸部を探検した宣教師・探検家。

日本ではあまり馴染みがありませんが、
西洋では有名な探検家のようです。

27歳のときに初めてアフリカに赴いて以来、
60歳で亡くなるまでほとんど南部アフリカを探検していたそう。

彼の探検はケープタウン(南アフリカ)から始まり、
北上してたぶん現在のボツワナ、ジンバブエ、ザンビア、マラウィなど、
当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸の奥地へと進みます。

1855年11月、ビクトリアの滝に到達。

DSC07157.jpg

彼が初めて滝を見たとされる場所には、記念碑が建てられています。

1866年にナイル川水源探検に出た彼はその後数年間消息を絶ち、
ニューヨーク・ヘラルドの新聞記者だったスタンリーが、
彼の捜索に赴きます。

1871年、タンガニーカ湖畔のウジジという地で
リビングストンを見つけたスタンリーが言ったとされる言葉が…

"Dr. Livingstone, I presume?"

ニューヨーク・ヘラルドにこの劇的な邂逅シーンの記事が載り、
この言葉は一躍有名に。

イギリスでは当時こういう挨拶のしかたが流行ったり、
多くの歌や映画のタイトルや歌詞、セリフに使われたり。
アメリカのテレビドラマ「ER」だって、
研修医だったカーターがついにドクターになる回のエピソードタイトルは、
"Dr. Carter, I presume"。

スタンリーと会って間もない1873年、
リビングストンはマラリアが原因で、
現在のザンビアにあるバングウェウル湖畔の街で亡くなります。

それまで謎めいていたアフリカ内陸部事情を明らかにした彼の功績は大きく、
結果的にはこれがイギリスの植民地支配につながったりもするわけですが、
ザンビアの古い歴史はリビングストンなしには語ることができません、きっと。

現地の人々に受け入れられたリビングストン、
南部アフリカには各地に彼の名が残っています。

・ザンビアの都市、リビングストン
・マラウィの都市、リビングストニア
・マラウィの都市、ブランタイア(スコットランドのリビングストンの故郷)
・コンゴ川にあるリビングストン・フォールズ

10月頭にビクトリアの滝に行ったときに印象的だったのが、
リビングストン・アイランドでガイドしてくれたザンビア人が、
「ビクトリアの滝」の命名の由来やリビングストンについて、
誇らしげに話していたこと。

"Mosi-oa-Tunya"という滝の現地語名もそれはそれで大事にしているけれど、
「白人が勝手に『発見』して勝手に英語の名前をつけた」というような
悪いイメージは、少なくとも私の受けた印象ではないようでした。

それにしても、
150年以上も前にこのアフリカの地を探検するなんて、
さぞかし困難なことだったに違いありません。
探検家ってすごい。

せっかくザンビアにいるのだから、
いつかリビングストンの足跡を辿ってみたいなぁ。

<参考>
デイヴィッド・リヴィングストン‐Wikipedia
David Livingstone - Wikipedia
百科事典 マイペディア 電子辞書版

いやあしかしウィキペディアって便利ですね。
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2010.11.11 Thu l 歴史 l top
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