上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
あきよしさんが年明けすぐにキリマンジャロ登頂を果たしてきました。
(あきよしさんのブログ記事はこちら。)

201201_21_05_a0017705_822650.jpg

おや?

と思ったあなた、そう、頂上の看板が変わったらしいのです。
私が登ったときのはこちら。

s-RIMG0577.jpg

ほぼ同じアングル。
いつ変わったんですかね。
スポンサーサイト
2012.01.25 Wed l キリマンジャロ l top
キリマンジャロの下山は、本当に涙が出るほど足が痛かったのです。
「グロい」「気持ち悪い」と多くのご好評を頂いた(ありがとうございます)この記事
今読み返しても、痛かったことがまざまざと思い出されます。

さて、キリマンジャロ登山から半年以上が経った今、
ついに、最後の爪がはがれました。

RIMG5188.jpg

下山直後からうっすら変色していた左の親指、
しばらく変色したままでそれ以上の変化はなかったのですが、
ここ1か月くらいで急に異変を見せ、真ん中のところで半分まで割れていました。
なんだかいろんなものに引っかかりそうだったけれど、
そのままほっといて自然にはがれるのを待つのがいい、
との他の隊員のアドバイスに従い、ほっといていました。

で、昨日。
ふと気づいたら、いつの間にか爪が半分取れているではありませんか。
私、いったいどこに爪を落としていったのだろう。
キリマンジャロ下山から実に184日後のことでした。

ちなみに右足は、人差し指と中指は完全に元通り。
でも親指はまだ8割くらいしか生えていません。
(汚いものをお見せしてすみません。洗っても汚れが落ちなくて。)
足の爪が生えるのって意外と時間がかかるものですね。
2011.07.23 Sat l キリマンジャロ l top
キリマンシリーズ、長々と書いてきました。
なるべくわかりやすく書こうと思ったものの、
うまくはいかないものですね。

登頂記を書いているとついつい長くなってしまうし、
これから登る人はどんな情報がほしいだろうと考えても、
なかなかうまくカテゴリーをわけられない。

自分としてはまだ書き足りないような気もしますが、
そろそろ締めたいと思います。
これから登る方、その他興味のある方、
もし聞きたいこと気になることがあればなんでもお聞きください。
(メールフォームが右のどこかにあります→)

*

思い返せば、はじまりは2010年7月31日(土)、チャーチの日。
アグリカルチャーショウでソーランを踊るために
ルサカに上がってきた21-3の隊員2人とチャーチで会って、
例の麺(さつまいものほう)を一緒に食べて、
ミルクタルトを買って帰って我が家で3人でお茶をしたときのこと。

3人とも地図が好きという話題で盛り上がったあと、
常々キリマンに登りたいと思っていたO隊員が、
渋るK隊員に何度目かの説得をし出したのを見て、
私も登りたい!!!と、K隊員の説得に参戦。
ついにK隊員は折れ、というか登ることを決意し、
行くなら次のターム休みの12月ということで、
このとき12月のキリマン行きが決まったのでした。

それから私の同期を一人誘ってメンバーは4人に。

任国外旅行の受入れに厳しいJICAタンザニア事務所、
ひと月に入国できるのは何人までという決まりがあるので、
まずは8月頭(すなわち4か月前)にタンザニア事務所に電話して枠を確保。

さらにちょうど同じ時期に行く予定だった21-1などの4人と合体し、
メンバーは8人に。
こうして旅の仲間が集まりました。
Fellowship of the Ringならぬ、Fellowship of the Mountain。

10月頭、Gladysさん(代理店)のところで登山の予約。

10月半ば~下旬、ルサカ-ダルの往復チケット購入。

11月頭、ダル-モシのフライト確定。

11月半ば(出発1ヶ月前)、ポータルサイト申請。
任国外旅行に行くときには、隊員向けのポータルサイトで
1か月前までに申請手続きを行わなければなりません。

ここまで手配はほとんどすべてO隊員がやってくれました。
いろいろ手間だったと思います。
どうもありがとう。

この頃から情報収集、準備開始。
なかなか体力勝負の行程、それに高山病の恐ろしさにおののく。

そして気づけば出発まで1か月を切っていて、
心は既に半分くらいキリマンジャロの日々。

人生で一番辛かったという人が多いけれど、
さてどれだけ辛いだろう。
耐えられるだろうか。
いや、耐えてやる。
どんなに辛くたって耐えてやる。
ずっとそんなことばかり考えていて、
行く前からキリマンジャロと戦っていました。

本当は行く前に「ロード・オブ・ザ・リング」を見たいと思っていました。
フロドとサムの指輪を葬り去るためのあの過酷な旅に比べれば、
キリマンジャロなんてへっちゃらと思えるのではないかと。
しかしデータを入手したのが直前過ぎて、
結局見られないままに出発の朝を迎えることに。

12月13日(月)、興奮して早起き。
前日頼んでおいたタクシーでまずドミまで行くと、
既に残りの7人は外に勢ぞろい。
同期隊員からお手製お守り(同期全員からのメッセージ入り)と
お手製チテンゲ手ぬぐいをもらい、みんなで出発前に記念撮影。
そして一路ルサカ空港へ…

そこから先は、登頂記に書いたとおり。

今でもいろんな瞬間がまざまざとよみがえってきます。
みんなが撮った写真と動画、全部集めたら8GB以上、
帰ってきてから何度見返したことか。

誘ってくれた、というか、
私が行きたい!と言って仲間に入れてくれたお2人、
そしてすべての手配をしてくれたO隊員をはじめ、
一緒に行ってくれたみなさん、ほんとにありがとう。

登山経験はほとんどないけど山っていいなぁと思っていた私、
定年退職後は山登りをしようと思っていた私、
おかげさまで予定より早く山登りに目覚めました。
これからはぼちぼち山に登っていきたいと思います。

一緒に行った仲間のキリマン登頂記も楽しく読ませてもらいました。
Breathe in The Air - 五〇〇文字のキリマンジャロ
いつもねむたそうな人の日記 - キリマンジャロ登山記
など。

ロード・オブ・ザ・リング、
帰ってきてから三作全部じっくり見たのですが、
第二部の終わりで、
あまりの辛さに「もう無理だ」というフロドに対して、
お伴の庭師サムが言います。

Frodo: I can't do this, Sam.
Sam: I know. It's all wrong. By rights we shouldn't even be here. But we are. It's like in the great stories, Mr. Frodo; the ones that really mattered. Full of darkness and danger, they were. And sometimes you didn't want to know the end... because how could the end be happy? How could the world go back to the way it was, when so much bad had happened? But in the end, it's only a passing thing, this shadow. Even darkness must pass. A new day will come. And when the sun shines, it will shine out the clearer. Those were the stories that stayed with you, that meant something, even if you were too small to understand why. But I think, Mr. Frodo, I do understand. I know now. Folk in those stories had lots of chances of turning back, only they didn't. They kept going... because they were holding on to something.
Frodo: What are we holding on to, Sam?
Sam: That there's some good in this world, Mr. Frodo. And it's worth fighting for.


ここまでではないかもしれないけれど、
キリマンジャロ登山が立派なひとつの物語になることは間違いなし。

みんなほんとにどうもありがとう。
Kilimanjaro is just a piece of cake!
2011.02.14 Mon l キリマンジャロ l top
キリマンジャロシリーズ。
私なりに、高山病対策のためにしたこと。

・はじめからゆっくり歩く(体力的には余裕があってもゆっくり歩く)
・はじめからずっと深呼吸、腹式呼吸を心がける
・水をたくさん飲む(1日3リットル)
・食後2時間は寝ない

それから高山病対策というよりは体力温存のために…

・とにかくたくさん食べる
・休憩中に飴やチョコをちょっとずつ食べる
・砂糖たっぷりの紅茶をたくさん飲む

「指南書」には、
食べたものの消化のために脳に酸素が行きわたらなくなるから、
腹八分目に抑えること、とありました。
でもチーフガイドのAugustに最初に言われたのは、
食欲がなくなるのは高山病の最初の兆候、
だから食べられるうちはたくさん食べること、ということ。
Augustを信じて、食べられるうちはたくさん食べていました。
そしたらいつまでもたくさん食べられました。笑

個人的には、水をたくさん飲むというのがかなり有効だった気がします。
一緒に行った8人の中でも、
とにかく水をたくさん飲んだ隊員のほうが高山病の症状が軽かった気が。
その代わりトイレストップも何度となくしました。
トイレが面倒だからといって水を飲まないのではなく、
どこでもトイレに行く覚悟でがんがん飲んだほうがよいかと。

高山病対策は低地の時点で始まっている、と言います。
まあ、考えれば当たり前です。
最初から怠ってはいけません。

高山病にかかりやすい体質かどうかは、
登ってみないとわからないらしいです。
ただ筋肉量の多い人はかかりやすいとか。
高山病とは脳が酸欠状態に陥ることらしいので、
とにかくポイントは呼吸法というか息の使い方。

私、10年間くらい吹奏楽器をやっていました。
練習熱心だったかと言われるとそうでもなかったけれど、
腹式呼吸とか、一応なんとなくはできていたはず。
それがもしかしてちょっとはよかったのかもしれません。
ただ、楽器を吹かなくなってからもう5年。
果たしてほんとに関係あったかはわかりません。

それと、ザンビアである程度暮らしてから行ったのと、
日本から直接行くのとではだいぶ違うと思います。
私の住んでいるルサカは標高1200mほど。
ここで毎日1時間くらいチャリ乗ったり、
たまに3時間くらい歩いたりしているので、
これだけでもトレーニングになったかなと。
でも日頃からもっと運動して体力つけとくべきだったと思いました。
8人で行ったうち、6人は男性、1人は女性だけど体育隊員。
私だけ明らかに基礎体力に差があって、
歩いていると自然と遅れを取り、
常にビリっけつを歩いてました。

薬について。
高山病対策の薬はいくつかあるらしく、
なかでもダイアモックスというものが有名です。
タンザニア隊員の間では勧められていないそうだけど、
ザンビア隊員の中では飲む人がかなりいます。
呼吸を助ける薬だかなんだからしく、
でもそれはあくまで副作用であって、
それから利尿作用もあって手足もしびれるとか。
薬を飲むと、
高山病にかかっているのに自覚症状がないかもしれないというのが
逆に恐ろしかったので、私は薬を飲まずに行きました。
タンザニアやザンビアでは誰でも簡単に買えてしかも安いけれど、
日本では医師の処方を受けないと買えない薬だとか。
飲むなら完全に自己責任です。
隊員の中には、飲んでる人も飲んでない人もそれぞれいます。

あとは…

・傾斜が急なところはジグザグ歩く

これも結構大事な気が。
たったこれだけのことで疲労具合が全然違います。

ストックは全行程ダブルストックをフル使用しました。
ストックなかったら無理だったと思う。

以上、私なりの対策でした。
何がどこまで効果があったのかはわかりませんが、
これから登る人の参考になれば幸いです。
2011.02.07 Mon l キリマンジャロ l top
気がつけばキリマンに行ってから早くももうすぐ2か月。
シリーズもそろそろ終わりにしたいと思います。
これじゃいつまで経ってもダルに進まない。

事前に聞いていたことと実際の経験はどれくらい違ったか。

「辛いのは最終アタックだけ、あとはハイキング」

→まあ、そう言えるかもしれない。
たしかに道のりは、最終アタックも含めて、
高度さえなければきついところはありません。
ただそこに高度が加わると一気に辛くなります。
だから道としてはハイキングだけど、
歩く時間も長いし、2日目くらいから結構疲れました。
いくらハイキングとはいえ、体力は必要。

「ハットに着いてからかなり暇なので暇つぶしグッズ必須」

→「指南書」を読む限り、とにかく暇!というように思えました。
ところが、1日目は近くのクレーターまで散策したし、
2日目も到着は15時過ぎで、
お湯パシャパシャやティータイムなどでなんだかんだすぐ夕飯だし、
3日目はハットに着いたらとにかく仮眠だし、
「暇だな~」と思う時間はほとんどありませんでした。
UNOの出番は一度のみ。
高度順応日を入れたらその日はだいぶ暇なのかもしれません。

「高山病の症状は二日酔いのような感覚」

→キボハット(4700m)でなんとなく空気の薄さは感じます。
ゆっくりそろーりしか歩けません。
人によっては「心臓が痛い」という感覚も。
寝て起きると頭が重く、この感覚がたしかに二日酔いっぽい。
高度を上げるにつれ、吐き気もひどくなりました。
結局私は吐かなかったけれど、いつ吐いてもおかしくなかった。
8人中4人は吐きました。
頭も重たかったけれど、それより何より、
私は空気が薄くて息苦しいのが一番辛かった。

「最終アタック以外は汗をたくさんかくので着替えがたくさん必要」

→初日はお昼の時点で汗だく。
ここで着替えていたらきっとだいぶ違ったはず。
でも初日以外はそんなに汗かきませんでした。
むしろ2日目から寒くてフリースの長袖を羽織っていた気がする。
歩いていて暑くても曇るとすぐ寒くなります。
ハットは寒くて洗濯してしまうと乾かないので、
Tシャツを多めに持って行くに越したことはないけれど、
同じの何日か着て2~3枚でも意外と大丈夫な気も。

「高山病対策のため熟睡しない」

→無理でした。
睡眠をコントロールすることはさすがにできない。
キボハットで仮眠して起きたらまず間違いなく頭は痛いと思います。
しょうがないです。

これらの経験を踏まえた私なりのアドバイスは次の記事で。
2011.02.07 Mon l キリマンジャロ l top
隊員が作成した「指南書」に書いてあったことのひとつに、
「下山時にはつま先にガーゼを詰めるべし」というのがありました。

登山靴は自分の履き慣れたものの方がよい、
とネットなどにもありましたが、
そんなものは持っているはずもないので借りるしかなく。

ガーゼは持って行かなかったけれど、
代わりにティッシュと絆創膏は持って行きました。

どうやら今改めて調べてみると、
靴を履いた時のつま先部分の余裕は、
なさ過ぎてもあり過ぎてもいけないよう。
つま先に余裕がない靴は、つま先で踏ん張るから負担がかかるとのこと。

対策としては、靴ひもをきつめに結んで足を固定するとか、
中敷きを入れるとよいらしい。

とまあ、とにかく、
私は履き慣れない靴で思いきりつま先で踏ん張りながら下山したわけです。

そもそも、ギルマンズポイントからキボハットまで砂利スキーした時点で
ヤバいなとは思っていました。

思ってはいたのですが、たしかこの時点では対策何もせず。
いや、絆創膏はしていたかな?
さっぱり記憶がありません。

5日目は朝から絆創膏でガード。
ただ親指はなぜか大丈夫と思い何もせず。

2時間後、マンダラハット到着時の私の足。

k53_1.jpg

親指がやたら痛いと思ったら、
指の裏が擦れて腫れて水ぶくれが固まってと、ひどいことに。

同期H隊員にテーピングを借りて、
親指、人差し指、中指をがちがちにガード。

それでももう足を一歩出すだけでも痛い。
水平に歩くのでも痛いのに、下りなんて無理。
こんなごつごつの道を歩くなんて無理。
と、ほんとに泣きそうになりながら頑張って踏ん張って下山。

やっとのことでゲートに着いたときには、
もう一歩も歩けない、というほどの痛さでした。

それからしばらく、普通に歩くのもそーろそろ。
すり足でしか歩けない。
階段は鬼。
特に下りは鬼。

5日ぶりのシャワーはとても気持ち良かったけれど、
痛くて怖くて絆創膏もテーピングもはがせずそのまま放置。

ダルで同期のタンザニア隊員に会ったとき、
「歩き方がおかしい」とさんざん笑われました。

また別の同期隊員には、
絆創膏を貼りまくったままサンダルを履いていたら、
「どうしたのその足?!」と会った瞬間に言われました。

そんなわけで、爪が語るキリマンジャロの厳しさをご覧ください。

<下山3日後(12月22日)>

1222_RIMG0928.jpg   1222_RIMG0929.jpg

親指、気持ち悪。
人差し指と中指も微妙に色が違う。

<下山5日後(12月24日)>

1224_RIMG1025.jpg

腫れは引いた。

<下山13日後(1月1日)>

1301_RIMG1223.jpg

皮がむけた。痛い。
爪の付け根がどす黒く変色。

<下山25日後(1月13日)>

1313_RIMG1393.jpg

活動の帰り、調子に乗って1時間以上散歩。
人差し指と中指が真っ白に、そして爪の根元が浮き上がる。
この日のうちに中指がポロっ。

<下山26日後(1月14日)>

人差し指もポロっ。

<下山32日後(1月20日)>

1320_RIMG1410.jpg

親指の爪がだいぶ伸びてきたけど、怖くて切れない。

<下山36日後(1月24日)>

1324_RIMG1425.jpg

あれ、なんだか親指が白くなってきたぞ。

<下山40日後(1月28日)>

1330_RIMG1465.jpg

ついにポロリ。

こんなわけで40日かけて右足ばかり3枚爪がはがれました。

この間、痛みはゼロ。
帰国直後はさすがに怖くて控えたけど、
そのあとは普通に毎週のフットサルもやってました。

やっぱり履き慣れない靴で歩いたのが一番の原因でしょうか。
一緒に登ったメンバー8人中、爪がはがれたのはおそらく2~3人。
ほとんどがなんともなかったよう。

みなさん、山に登る際には下山対策を万全に。
気持ち悪い写真をたくさんお見せして失礼しました。
(ドミで爪の写真を撮っていたらそこにいた隊員に「変態っぽい」と言われました。)
2011.02.02 Wed l キリマンジャロ l top
キリマンジャロに登るには、
整備されたルートがタンザニア側に5つ、ケニア側に1つ。

RIMG1444_2.jpg

(Kilimanjaro -The Trekking Guide to Africa's Highest Mountain (Trailblazer Publications)より)

-Marangu Route
-Mweka Route
-Umbwe Route
-Machame Route
-Shira Route / Lemosho Route
-Rongai Route

私たちが登ったのは、最もポピュラーと言われているマラング・ルート。
宿泊はすべて山小屋。
コカコーラ(それにビール)も売っているので、
俗称はコカコーラ・ルート。
ほかの4つのルートはすべてキャンプ泊。

しかしながら、手持ちの本(写真の地図が載っている本)によれば、
"not much easier than any other trail"とのこと。
実際、タンザニア隊員はマチャメ・ルートを使う場合も多いとのこと。
私たちのあとに年越し登頂を果たしたウガンダの同期隊員も、
マチャメ・ルートだったとか。
聞いた話によると、
マチャメ・ルートは途中で下りがあるので高度順応しやすく、
隊員の登頂成功率も高いとか。

Marangu Route マラング・ルート(コカコーラ・ルート)

①Marangu Gate(1905m) to Mandara Huts(2723m)
道のり:8.3km
高低差:818m

②Mandara Huts(2723m) to Horombo Huts(3721m)
道のり:12.5km
高低差:998m

③Horombo Huts(3721m) to Kibo Huts(4714m)
道のり:9.5km
高低差:993m

④Kibo Huts(4714m) to Gillman's Point(5719m) and Uhuru Peak(5895m)
道のり:6.25km
高低差:1181m

と、ここまで本を見ながら書いてみたんですが、
キリマンジャロで買った地図を見ると、書いてある道のりが全然違う。。。
なんだこりゃ。
①が約12km、②と③が約15kmだそう。
この記事で「27km」と書いたのも、
ネットで調べたときこのように書いてあったからです。)
ま、あくまでだいたいということで。
8kmと12kmとか9kmと15kmって結構違うけど。。。
2011.01.28 Fri l キリマンジャロ l top
k101.jpg

【Impatiens Kilimanjari】
世界中で、ここキリマンジャロでしか見られない花。
Impatiensとはツリフネソウのことらしい。

k102.jpg

"Protea" 【Protea Kilimandsharica】
南アの国花。
ザンビアには南ア資本のProtea Hotelがたくさんあります。

k103.jpg

"Bearded Lichen"【Usneaナントカ、かな?】
または俗称Spanish Moustache。
ガイドのAugustが実演しながら教えてくれました。
でも、moustacheって口ひげじゃなかったっけ…?

k104.jpg

"Red Hot Poker" 【Kniphofia Thomsonii】
鮮やかな黄色がひときわ目立ちます。
ゆくゆくは赤になるようです。

k105.jpg   k107_2.jpg   k107_3.jpg

"Giant Senecio" 【Dendrosenecio Kilimanjari】
いやぁ、たくさんいたなぁ、ジャイアントセネシオ。

k106.jpg

"Lobelia" 【Lobelia Deckenii】
サボテンみたい。
大きかった。

ほかにもまだまだ鮮やかできれいな花や珍しい植物がたくさんありました。

※学名、しっかり調べたわけではないので、あまりあてにしないでください…
2011.01.28 Fri l キリマンジャロ l top
2010年12月18日(土)

06:00 起床、お湯
07:20 朝食
07:45 集合写真
08:15 下山開始
10:30 マンダラ・ハット到着、お昼
11:30 下山開始
13:00 ゲート着
14:00 Gladys Adventure着、レンタル品返却
15:30 Moshi Leopard Hotel着
17:00 Kilimanjaro Coffee Lounge
17:50 Hotel発
18:20 Kilimanjaro空港着
19:05 Kilimanjaro空港発
20:10 Dar es Salaam着
21:00 Econo Lodge着

k51_1.jpg

キボ峰が遥か遠くに見える。
昨日一日であんなところから降りて来たなんて信じられない。
「あそこから一日で降りて来たと思うと、人間なんだってできる気になるね。」
とは、同期H隊員のひと言。

k51_2.jpg

朝食はいつもこんな感じでした。
これプラス果物とおかゆ。
ホテル並みのご馳走。

ホロンボハット出発前にチップを渡し、
キボ峰を背にしてパーティー全員で記念撮影。
チーフガイドのAugustがチップの額を全員に向かってアナウンス。
100ドル札などで総額をどさっと渡したので、
あとでもめないようにだと思います。

k51_3.jpg

そして全員で歌ってくれたのがキリマンジャロの歌(勝手に命名)。
印象的なメロディーラインで、つい口ずさみたくなる歌。
みなさん、ほんとにありがとう。

さて、出発。
行きに2日かけて登ってきた高低差約2000mを、
帰りは1日で一気に下ります。
道のりにして約27km。

k52_1.jpg

キボ峰もホロンボハットも背にしてどんどん下るのみ。
ポーターさんに注目。
頭には大きな荷物、手にはお湯タンク。
これで我々をどんどん抜かしていきます。
「ポーターさん通りまーす」と言われて何度脇によけたことか。

k52_2.jpg

こういうちょっとしたごつごつの岩を下るのが、かなりの苦痛。
足の指に絆創膏巻いたり靴にコットン詰めたりしたのだけど、
それでも容赦なくつま先に衝撃が来て、このあと指はひどいことに。。

k52_3.jpg   k52_4.jpg

マウェンジ峰もキボ峰も、もう遥か彼方。

k52_5.jpg

行きにお昼を食べたところ。
帰りは休憩のみ。
下りのスピードは速い速い。
私もマンダラハットまでは先頭集団の中で
元気にぴょんぴょん跳ねるように下っていました。

それが、マンダラハットに近付いたあたりから、
つま先が悲鳴を上げ始め、いつの間にか足を一歩ずつ出すごとに激痛に。

k53_1.jpg   k53_2.jpg   k53_3.jpg

お昼休憩をするマンダラハットに到着して靴下を脱いでみると、
既に水ぶくれが固まっていてひどいことに。
絆創膏だけでは足りないと、テーピング。
それでも、トイレに行くのに水平に歩くだけでも痛い。
ここからが涙の行軍でした。

k54_1.jpg   k54_2.jpg   k54_3.jpg

お昼。
ついに山での最後の食事。
何度も言うけれど、最後まで本当においしかった。

早めのお昼を済ませて、さらに下る。

k55_1.jpg   k55_2.jpg   k55_3.jpg

なんとも身軽なポーターのお方々。

k56_1.jpg

沢。

k56_2.jpg

ブルーモンキー。

マンダラハットから登山口までが意外と長い。
初日にお昼を食べた地点がなかなかやってこない。
つま先が痛くて痛くて、最後は気合と根性のみで歩きました。

k57_1.jpg

13時、ついにゲート到着。
最後はとにかくつま先が痛かったことしか覚えていない。
登りの辛さは我慢のできる辛さだけど、
下りの辛さは我慢のできない辛さでした。
痛くてほんとに涙が出るかと思った。

k57_2.jpg

最後にゲートで何やら名前を書いて(登頂証明書がもらえる)、
おみやげ買って、モシ市内へ。

このあとほんとはゆっくりするはずが、
ダル組4人はフライトが急きょこの日の夜に変更になったため、
レンタル品を返却して慌ただしくホテルへ。
5日ぶりのシャワーを浴びて、
ちょっとでもモシ観光がしたいと、「モシのスタバ」なるカフェへ。

k58.jpg

たしかにおしゃれなカフェで、
ドリンク、ケーキともに見た目はよかったけど味は…ノーコメント。

その後もやはり慌ただしく空港へ。

k59_1.jpg

機内でついにビール。
ああ、ほんとは8人全員で盛大にモシで打ち上げするはずだったのになぁ。

しかし5日間の疲れと機内という高度と久々のアルコールで、
缶1本でかなり酔いがまわりました。

k59_2.jpg

ダルの空港、Julius Nyerere国際空港。
ルサカ国際空港に比べると、かなり大きい。

ほんとはモシのホテルに泊まる予定だったので、
突如宿なしとなってしまった私たち。
Gladysさんやタンザニアの同期隊員に聞いて急きょ予約したのが、
ダルの中でも中心地に位置するEcono Lodge。
お値段のわりに非常によいロッジでした。

k59_3.jpg

部屋は広く清潔。
これでツイン1部屋27,000シル(タンザニアシリング)。
すなわち1人13,500シル(=1000円弱)。

部屋に入ってすぐに爆睡。

*

こうして私たちの5日間は幕を閉じました。

翌日、私以外の3人はダルからルサカへ飛んで帰ザ。
私のみダルにとどまって、タンザニアの同期隊員と、
数日ダル及びその近郊をうろうろ。

のはずが、私以外の3人がルサカへ帰るフライトがまたもやキャンセル。
今度はZambezi Airlines
どこまでもやってくれます。アフリカ。

結局彼らは夜遅くまで空港で待った挙句にダル市内に逆戻り。
翌日の臨時便で帰ったそう。

私はダルで同期隊員と食い倒れツアー開始。
それはまた別の記事で。
2011.01.23 Sun l キリマンジャロ l top
2010年12月17日(金)

12:00 起床、昼食
13:00 下山開始
16:00 ホロンボ・ハット到着、お湯
16:30 お茶、UNO
18:00 夕食
21:00 就寝

k41.jpg

みんなぐっすり寝た後、12時にお昼ご飯。

k42_1.jpg   k42_2.jpg

おー肉じゃが。
心温まります。
しかしここでも気持ち悪くて食べられないメンバー続出。

キボハットまで砂利スキーで一気に駆け降りてきて、
そのあとぐっすり寝たからか、みんな体調不良。
頭痛かったり気持ち悪かったり。
寒さで風邪を引いてしまっていたり。

いくら1000m以上も降りてきたとはいえ、
それでもまだここは4700mの世界。
砂利スキー、あんなに駆け降りて良かったのか、
こんなに高いところで激しい運動は絶対体に良くない、
あれがまずかったんじゃないか、
と、みんなでぶつくさ。

気持ち悪過ぎて降りられない、と言っていた隊員もいたけれど、
高度を下げれば下げるだけ楽になるよきっと、と、
とにかく出発。

k43.jpg

アルペン砂漠というらしいです、こういうところ。
3時間ほど、来た時と同じ道を延々と歩いて…

k44.jpg

見えた、ホロンボハット!
たしかに降りれば降りるほど楽になり、
みんなの体調も徐々に回復。

k45.jpg

ダイニングハットでお茶していたら雨が降り出し、
小屋に戻るのめんどくさいね、夕飯まであと1時間くらいだし、
ということで、ここに来て初UNO。

すると1回戦も終わらないくらいのところで、
日本人の方がどこからともなくやってきました。
これから登頂するとのことで、
お話を聞けば、
登山経験豊富で若い頃にはなんと8000m級の山にも登ったとか。
キリマンジャロは長年の夢だった、氷河を見に来た、とのこと。
高度順応のため、ここに来る前に隣のメルー山(4566m)に登ってきたと。
おしゃれな帽子の似合うダンディなお方でした。

k46_1.jpg   k46_2.jpg   k46_3.jpg

おいしい夕飯を食べるのもこれが最後。
なんだかしんみり。

しかしここでガイドAugustから衝撃のひと言。

「あさっての君たちのフライト、キャンセルになったらしいよ。
明日の晩のフライトに振り替えだって。」

えぇー。
やってくれます、Precision Air
いったいどこがprecision(正確、精密の意)なんだか。

ほんとは下山したその日はモシのホテルでゆっくりするはずだったのに。
みんなでがっつり打ち上げするはずだったのに。

我々8人のうち、私を含む4人は下山翌日にモシ→ダルへ飛ぶ予定、
残りの4人は同じ日にモシ→ザンジバルに飛ぶ予定でした。
キャンセルになったのは我々のダル行きのフライト。
4人だけ慌ただしく下山当日に飛ぶということは、
みんなでおいしいお酒を飲むこともできない。。。

とりあえず気を取り直して最後の夕飯をたっぷり食べて、
寝心地のいい寝袋で安らかに就寝。
行きに溺れる夢を見たK隊員だけはびくびくしながら就寝。
2011.01.21 Fri l キリマンジャロ l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。