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実は、ザンビア隊員のみなみなさまに言いたいことがあります。

ドミがあるら辺の地名、Rhodes Park。
これ、「ローデス・パーク」じゃありません。

「ローズ・パーク」と読みます。

Rhodes Park

なぜかといえば・・・

ひとまず深く考えずにsを取って、

Rhode

とすると、この発音は「ロウドゥ」。

「子」+「母」+「子」+「e」という語の場合、
最後の「e」は「ウ」と「エ」の中間みたいなあいまいな音(あいまい母音といいます)、
子音に挟まれた母音は、母音そのままの読み方をする、というのが、
原則的な英語の発音ルール。
(のはず。間違いがあったらご指摘お願いします。)

cake, dive, tube, codeと、
ね、どれもエイ、アイ、ユー、オウと読むでしょ。
あと、Peterの愛称のPeteとか。これもイー。

なので、Rhodeも「ロウドゥ」。
この「ロウドゥ」という発音にsをつけるということは、
roadをroadsにするのと同じです。
だから、「ロウズ」。

綴りに騙されちゃいけません。
It tastes good!と言うとき、
"tastes"を「テイステス」じゃなくて「テイスツ」と読むのと同じ。

なので「ローデス・パーク」じゃないんです。
いつも、誰かがこう言うのを聞くたびに訂正したくなるけど、
その場で訂正するのもなんなので、ここでこっそり言ってみる。

*

ちなみにRhodesさんとは、Cecil Rhodesさんのこと(に違いない)。

その昔(1850年代)、
現在ザンビアのある地域は探検家リビングストン氏によって探検され、
その後、1889年に東インド会社をモデルにした南アフリカ会社というものが設立され、
今のザンビアとジンバブエの地域がこの植民地経営会社の傘下に収められます。

この会社を設立したのがイギリスの政治家、セシル・ローズ氏であり、
彼にちなんでこの地域が「ローデシア」と名付けられました。
後に、「北ローデシア」が「ザンビア」として、
「南ローデシア」が「ジンバブエ」として独立し、今に至るというわけですね。

と、いつものとおり完全にWikipediaの受け売りでした。
あしからず。

しかし「トランスヴァール共和国」だの「オレンジ自由国」だの、
ローズ氏のことを調べて初めて知りました。
(いつかどっかで習ったのかなぁ。)

アフリカの歴史、特に南部アフリカの歴史、
住んでるとこなんだからちゃんと知ってないとカッコ悪いな。
いつか勉強しよう。いつか。
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2011.10.17 Mon l 歴史 l top
ビクトリアの滝を最初に見た西洋人、リビングストン(1813-1873)。
ザンベジ川の上流やナイルの源流を巡るなど、
アフリカ内陸部を探検した宣教師・探検家。

日本ではあまり馴染みがありませんが、
西洋では有名な探検家のようです。

27歳のときに初めてアフリカに赴いて以来、
60歳で亡くなるまでほとんど南部アフリカを探検していたそう。

彼の探検はケープタウン(南アフリカ)から始まり、
北上してたぶん現在のボツワナ、ジンバブエ、ザンビア、マラウィなど、
当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸の奥地へと進みます。

1855年11月、ビクトリアの滝に到達。

DSC07157.jpg

彼が初めて滝を見たとされる場所には、記念碑が建てられています。

1866年にナイル川水源探検に出た彼はその後数年間消息を絶ち、
ニューヨーク・ヘラルドの新聞記者だったスタンリーが、
彼の捜索に赴きます。

1871年、タンガニーカ湖畔のウジジという地で
リビングストンを見つけたスタンリーが言ったとされる言葉が…

"Dr. Livingstone, I presume?"

ニューヨーク・ヘラルドにこの劇的な邂逅シーンの記事が載り、
この言葉は一躍有名に。

イギリスでは当時こういう挨拶のしかたが流行ったり、
多くの歌や映画のタイトルや歌詞、セリフに使われたり。
アメリカのテレビドラマ「ER」だって、
研修医だったカーターがついにドクターになる回のエピソードタイトルは、
"Dr. Carter, I presume"。

スタンリーと会って間もない1873年、
リビングストンはマラリアが原因で、
現在のザンビアにあるバングウェウル湖畔の街で亡くなります。

それまで謎めいていたアフリカ内陸部事情を明らかにした彼の功績は大きく、
結果的にはこれがイギリスの植民地支配につながったりもするわけですが、
ザンビアの古い歴史はリビングストンなしには語ることができません、きっと。

現地の人々に受け入れられたリビングストン、
南部アフリカには各地に彼の名が残っています。

・ザンビアの都市、リビングストン
・マラウィの都市、リビングストニア
・マラウィの都市、ブランタイア(スコットランドのリビングストンの故郷)
・コンゴ川にあるリビングストン・フォールズ

10月頭にビクトリアの滝に行ったときに印象的だったのが、
リビングストン・アイランドでガイドしてくれたザンビア人が、
「ビクトリアの滝」の命名の由来やリビングストンについて、
誇らしげに話していたこと。

"Mosi-oa-Tunya"という滝の現地語名もそれはそれで大事にしているけれど、
「白人が勝手に『発見』して勝手に英語の名前をつけた」というような
悪いイメージは、少なくとも私の受けた印象ではないようでした。

それにしても、
150年以上も前にこのアフリカの地を探検するなんて、
さぞかし困難なことだったに違いありません。
探検家ってすごい。

せっかくザンビアにいるのだから、
いつかリビングストンの足跡を辿ってみたいなぁ。

<参考>
デイヴィッド・リヴィングストン‐Wikipedia
David Livingstone - Wikipedia
百科事典 マイペディア 電子辞書版

いやあしかしウィキペディアって便利ですね。
2010.11.11 Thu l 歴史 l top
ひとつ下の記事を書くにあたり、
まさかないよなぁと思いつつ、
ナコンデのZwangendaba Lodgeの情報があるかググってみたら、
ロッジの情報はなかったけど、
代わりに"Zwangendaba"が何かが判明しました。
人の名前でした。

Zwangendaba(1785-1848)

・Ngoni(ゴニ)族の王様(1815年頃~1848まで)
・現在の南アからズールー族に追われ、
現在のモザンビーク、ジンバブエ、マラウィ、タンザニア西部へ
・小さな部族だったンゴニ族は彼の死後、
現在のタンザニア、マラウィ、ザンビア各地に散らばり5つのグループに拡大

ウィキペディアより)

ゴニ族っていうと、ザンビアでは東部地方の人々で、
ニャンジャ語を話す人々。
隣接するマラウィのチェワ語を話す人々もたぶんゴニ族。
てっきりそこら辺だけかと思っていましたが、
タンザニアにもいるんですねぇ。

ザンビアのゴニ族の伝統的な踊りのことを、Nc'wala(チワラ)と言います。
私たちが現地訓練中にLongacres Lodgeで見た踊りです。

RIMG5397.jpg

JICA事務所に貼ってあるNc'wala Ceremonyのポスター。
Zwangendabaさんもこの踊り踊ってたんでしょうか。

ちなみに、Zwangendabaはそのまま「ズワンゲンダバ」と読みます。
最初はこのロッジの名前を耳で聞いて、
忘れないように聞いたとおりに文字で書き留めたのですが、
一度文字で書いてみると、
最初のZwanという始まりがドイツ語っぽくて、
何度も「ツヴァンゲンダバ」と言い間違えた自分にびっくり。
目から得る情報の印象って強いんですね。
2010.11.04 Thu l 歴史 l top
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